イタリアも秋本番、息子は栗やどんぐりを拾って遊んだり、落ち葉の上をガサガサと楽しそうに歩いたりしてヨーロッパの短い秋を楽しんでいます。そんな秋のお散歩にぴったりな絵本を先日ボローニャ旧市街の児童図書館で借りてきました。
かさ かさ かさ
ぽとん ぽとん ぽとん
あ!どんぐり
そして、こう続きます。
まねっこしよう
せーの!
くる くる くるり
可愛らしい水彩画とやさしくテンポの良い文章で、読んでいるほうもルンルンと愉快になってきます。 オノマトペが多いので息子もまねっこして一緒に音読できるのが楽しいです。
最後は女の子のお父さんが出てきて、一緒だったんだね、ってちょっとほっとします。そして終盤、私の好きなページがこちら。
おそらも はっぱの まねっこしてるね
なんとも愛らしい表現ですね。我が子もいつかお喋り上手になったら、こんな純粋な表現いろいろ聞かせてくれるのかな。
ちなみに同じ作者の絵本で、はるかぜさんぽ、あめふりさんぽ、ゆきみちさんぽ、などのタイトルも出ています。次回日本に帰ったら読んでみたいです。 ‘
こうしてイタリアの図書館で日本の児童書に出逢えるのはとてもありがたいこと。ちなみにこの図書館、蔵書だけでなく施設も充実しているので学生時代から大好きな場所で(詳しくはこちらのイタリア情報サイトに寄稿しています)、随時いろんな催しも開催されています。先日は3歳児以下を対象にした日本語絵本の読み聞かせがあり親子で行ってきました。
童謡や手遊びの歌も交えての小一時間、息子も喜んで聞き入っていました。でも途中で集中力が切れたのか何度かプレイルームへ脱走。奥のほうに写っているのが会場で、手前の本棚を漁っているのが我が子です。
どこへ行ってもなかなかじっとしていられないお年頃ですが、こうした日本語のイベントにはこれからもなるべく連れて行きたいと思っています。参加者は意外にもうちともう一組の親子を除いて皆イタリア人だったのですが、主催者側の方やもうひとりの日本人のお母さんと知り合えたのは嬉しいことでした。
ボローニャにはそこそこの数の日本人が住んでいるはずなのに、移り住んで3年の間ひとりも日本人と知り合うことがなかった私。それで余計に前回ちらっとお話しした葛藤を抱えやすい環境にいたのかもしれません。
不思議なもので、あれだけイタリアという国に惹かれて自らの意志でこの国に移り住んだのに、いざ四六時中イタリア人社会の中で生きていると日本語が恋しく、母語を話したいときに話せない自分がもどかしいというか、そんな肩に力が入ったような毎日に少しずつ疲れ始めていました。息子が生まれてからはなおさらのことです。
英語も通じる夫や一部の友人を除き、イタリア人の家族や友人が居合わせているときは息子に日本語で話しかけることに抵抗があります。たとえば食卓で。息子同席でみんなと共通の話題で盛り上がっているときに日本語を挟むのがなんとなく気まずいというか、会話の流れでついついイタリア語のままになってしまうことがしょっちゅうです。
さらに気まずいのは息子が泣いたりぐずったりしているとき。周りのイタリア人に私がどのような行動をとってその状況を改善させるのか(泣き止まさせるのか)を悟ってもらうべく、とっさにイタリア語でなだめてしまいます。でも、こういうときこそ日本語でこたえてあげたいものです。結局のところ母と子の会話なのだから、周りを気にしすぎてはだめですよね。
一方で迷わず息子にイタリア語で話しかける場所もあります。たとえば公園。まだ保育園に通っていない彼の普段の社交場は公園で、イタリア人の親子に混じって一緒に遊ぶなら意思疎通は不可欠。もしそばに誰もいなければ日本語を出しますが、周りの親子と会話のきっかけもつかみたいし孤立したくないので基本的に日本語は封じます。
こういう話を同じくイタリアで子育てをする日本人ママたちに話すと、首を縦に振って同じ経験を語ってくれる人もいれば、それはわかるけどなるべく気にせず根気よく話し続けることが大切だと励ましてくれる先輩方も。そんなこともあって、ここ最近はもう少し気楽に構えて日本語を話せるようにもなってきました。
大切なのはきっと、その場その場の状況に応じた行動をとること。息子に日本語で話すことを頑なに守りすぎることも遠慮しすぎることもどちらも良くない。この記事を書きながらそう思いました。
さて、今日はたくさん写真を載せましたが終わりにもう一枚。先日いつもの公園に行ったら、桜の木でしょうか、それはそれは綺麗な黄金色に色づいていましたよ。
それではまた次回、どんな絵本が出てくるかお楽しみに!